2025/07/06 10:30
~数字の向こうにいる“誰か”を忘れないために~
最近、YouTubeやSNSを見ていると、少しだけ息苦しさを感じることがあります。
コメント欄には応援の声もありますが、その一方で、皮肉や悪口が目立つこともしばしば。
企業やお店が頑張って発信している投稿にさえ、心ない言葉が寄せられる場面が増えました。
なぜこんな風になってしまったんだろう。
そんなことを考えるようになりました。
見られることが“評価”になる場所
YouTubeやSNSでは、「どれだけ再生されたか」「どれだけシェアされたか」が、評価の軸になります。
応援コメントが多くても、再生されなければ数字にはならない。
だからこそ、「とにかく見てもらえる」コンテンツが求められるようになりました。
そして、たくさん見られる方法のひとつが「炎上」なのかも。
炎上は、ある意味“注目”の証
ちょっと過激なことを言ったり、思い切った表現をしたりすることで、
「何これ?」と気になって動画をクリックする人が増える。
たとえ批判されても、それが再生回数につながれば“成功”とされる。
そんな空気が、少しずつ当たり前になってしまったような気がします。
コロナ以降、世の中が少しピリピリしている?
実際、コロナを境に「クレームが増えた」と感じているお店や企業も多いようです。
不安やストレスを感じる日々が続く中で、
ちょっとした言葉や態度に、敏感になってしまう人も増えたのかもしれません。
誰かを責めたり、否定したりすることで、
一瞬だけ気持ちがスッとする──そんな気持ちが働くこともあるのでしょう。
本当は、もっと穏やかでいいはず
SNSは本来、誰かとつながるための場所。
発信も、応援も、そしてコメントも、「心地よさ」の中にあるものであってほしいと思います。
でも、「どう言えばバズるか」「どうすれば話題になるか」ばかりに気を取られると、
伝えたかった気持ちが、見えなくなってしまう気がします。
最後に
たくさんの人に見てもらえるのは、とてもありがたいこと。
けれど、数字の向こう側には、ちゃんと“誰か”がいるということを、
これからも忘れずにいたいなと思います。
「優しさは、バズらない」かもしれない。
でも、優しい言葉が届いたときの安心感や温かさは、何よりも大きな力になると信じています。